たまプラーザ駅から徒歩3分
東急田園都市線「たまプラーザ」駅改札を出て東急百貨店側に向かい歩く事約三分。たまプラーザ商店街に地元に愛される老舗の焼き鳥店。
夕方のピーク時には、排気口から町に香るのは地鶏の脂や甘辛いタレが、高温の炭に触れて舞い上がる空腹時には耐えれない甘美な煙。
少し勇気のいる格式高そうなドアを開けてみると、「いらっしゃいませー!何名様ですかー?」と先ほどまでの不安が杞憂であったと安心を与えてくれる活気のある声と笑顔。きめ細かい泡のビールと国産地鶏の美味しい。老舗ならではの新メニューの積み重ねによるグランドメニュー。より喜んでもらい愛されようとし続けた結果現在のメニューに至ります。そんなお店を目指して毎日営業しております。
先代より創業約40年?
筆者は、当店と関わって15年ですので、その昔の話を奥深くまで知りません。ですがたくさんの人から伺った昔話をしようと思います!
東急田園都市線(1966年 溝の口~長津田)が開通され1968年にはたまプラーザ団地はウルトラセブン第43話に建設中のこのビルが登場するようです。今では考えらえませんが本当に何もない場所に作られたのは40年前という事はたまプラーザ駅が開通してから17年後という事になりますね。
割烹で日々自身の腕を磨いてきた先代の店主は焼き鳥店を開きました。当時のたまプラーザ商店街は居酒屋さんは3店舗ほどだったと聞きます。当時の内装のレイアウトは現在のカウンターがずーーーっと伸びていて、
小上がりの席はなく、テーブルとカウンターのみだったと聞きます。
15年ほど経過し現在の店主に代替わりをします。(先代は銀座に店舗を出店)
お客様からご要望のあった座敷や小上がりなどを導入テーブル席を増やしカウンターを減らす。
このころには、商店街も少しはにぎわってきたと聞きます。二階に姉妹店月の音をオープンしたのもこの頃と聞きます。
チャレンジ精神旺盛な店主はLAに焼き鳥店をオープンすることを決意。
日本と違う手続きなどの相当苦労したと言ってました。
今では、その地に無くてはならないお店として10年以上地元の人に愛されています。
現在のとり平のへこたれずに挑戦してみる精神は先代や現代の店主からきているのかもしれません。